アドヴェントクランツに灯る夢 −第一夜−
広い家だった。
父と母と自分と、三人で暮らすにも広かった。
それが、今は一人。
ただでさえ広い家が、更に広くなった。
父は海外出張でヨーロッパへ。母は当然の様に父と共に旅立った。
一人残された は両親から送られてきた包みを開けていた。
入っていたのは去年も送られてきたクリスマスの飾り、アドヴェントクランツだ。
四本の蝋燭が立ったリース飾りである。
クリスマスの四週前から日曜日が来る度に火を灯す物。
はそれをダイニングテーブルに飾る。「毎年毎年物ばっかり。短期でも帰って来ようとは思わないのかな」
そりゃあ は親にベッタリな年頃ではない。
一人で暮らす事にも慣れたし、お手伝いさんもいる。
離れて暮らす事が良いとも思わないが嫌だとも思っていない。
だが、現状はあまりにも寂しい気がした。
物を与えられて誤魔化して、本当は気にもされていないのではないか。そう考えてしまう事もしばしばあった。「たまには楽しいクリスマスを過ごしてみたいよ…」
ぼやきながらマッチを擦った。
今日はクリスマス四週前の日曜日。つまり一本目の蝋燭に火を点ける日だ。
マッチから燃え移り、ゆらゆらと揺らめきながら蝋燭に火が灯った。
はなんとなく火を眺めている。
すると…。
突然蝋燭の火が大きく燃え上がり、その中から吐き出される様に一人の男が現れた。「え…!?」
目の前で起こった事に目を見開いて驚くしかなかった。目前の男も同じ様に驚いている。
「なん、だ?此処は一体…」
部屋を見渡す男。
には見覚えがあった。
いや、憶えがあるどころではない。見慣れていた。
彼は趙雲だ、何処をどう見ても。
趙雲は を視界に収め言った。「貴様、何者だ!」
突き刺す様な、警戒を含んだ視線が痛い。
だが彼に負けず肝の据わった彼女は言い返す。「貴方こそ何者よ、人様の家で随分と大きな態度ね」
は趙雲を知っていたが、知らないフリをする事に決めた。
ゲームの登場人物だ、とは言えそうにないから。
それが真実でも、今趙雲は生きた人としてその場に存在している。
空想の人物だなんて、どうして言えよう。「貴女の、家…。これは失礼をした。私は趙雲と申します」
「私は よ。それにしても驚いたなんてものじゃないわね。突然現れるんだもん」肩を竦めて苦笑する 。
「そうだ、私は一体どうやってお邪魔したのか…」
「まったく不思議ねぇ」そう言いながら は怪訝な表情でアドヴェントクランツを見ている。
趙雲には伏せておくべきか、言うべきなのか。
最も怪しいのはこのアドヴェントクランツだろう。
これの火から現れたのだから。(この火を消したら趙雲も消えるのかな)
思い付いた事をそのまま実行に移し、ふっと吹き消してみた。
火を消しても趙雲は消えなかった。
何度か趙雲とアドヴェントクランツを見比べるが変化は訪れない。(違うのか…)
「どうかなさりましたか?」
「あ、いえ、何でも。えーと、取り敢えず今日はもう遅いし休みましょ」
「だが私は…」
「部屋なら用意するよ。それに、此処に来た理由も方法もわからなくて同時に帰る方法もわからないとなったら今出来る事なんて何もないじゃない」
「…それはそうだが、 殿、家族の者は?」
「ああ、いないよ。仕事の都合で離れて暮らしてるから。だから気兼ねしなくていいよ」話を聞いた趙雲は眉をひそめた。
「女性が一人暮らしている所へ転がり込むわけにはいきません」
「…でも、趙雲殿は此処に現れたんだよ。此処から離れるのは得策かな?」その指摘に趙雲は黙り込んだ。
もしこの場所に何かがあるなら此処に留まるべきだ。「じゃあ決まり」
「不本意ではありますが…お世話になります」この時間、既にお手伝いさんは帰宅している。
は自ら客室へと案内し部屋を整えた。
自室へと戻ると、机の上に置かれていた携帯電話を手に取った。「学校行ってる場合じゃないよね…」
友達へ、明日は休むというメールを送信する。
何もわからない趙雲を一人置いて行くわけにはいかないだろう。
お手伝いさんに任せるわけにもいかない。
明日一日でどれだけの事を教えられるか。
大変な一日になりそうだと思いながら、ベッドへと潜り込んだ。
その日、朝は早かった。
「ぬかったわ…」
そう、趙雲に合わせた起床となったからだ。
武人であり、あの時代の人間ならこの早起きも特別な事ではないのかも知れない。
だが常にギリギリまで寝ていたい にとってはとんでもない早起きになる。「ああ、お早う御座います」
庭で体を動かしていた趙雲は爽やかな笑顔を向けた。
窓から趙雲を見ていた は辛うじて笑顔を浮かべられた。「昨日遅かったのに早いね」
「そうですか?」笑顔で首を傾げる趙雲に は心の内で叫ぶしかない。
「まだ太陽も目覚めてないのに早くないっての!?」と。
諦めるしかないのか、と溜息を吐きながら身支度を整える為に洗面所へと向かおうとして、足を止めた。「ねぇ、趙雲殿」
「はい?」
「此処ではね、まだ大半の人が寝てる時間なの。悪いんだけど、ちょっと煩いかも…」そう、 が気に止めたのは体を動かすたびに発せられる趙雲の声だった。
「そ、そうなのですか!?あ、では 殿も私が起こしてしまったんですね。すみません」
「あぁ、私はいいよ。もうスッカリ目も覚めちゃったし…。趙雲殿も入って、朝食にしよ」ここからが驚きの連続となる。
昨夜、パチパチと簡単に点けたり消したり出来る灯りにも驚いていたがそんな事では終わらない。
食パンを焼いていたトースターにも、目玉焼きを焼いていたガステーブルにも、カフェオレを注いだガラスのグラスにも…見る物全てを驚きの目で見ていた。
その様子が面白くて、 はクスクスと笑うばかり。「此処と趙雲殿が暮らしていた場所は随分と違うみたいだね」
昨日自分の中で決めた通り何も知らない風に切り出す。
「ええ、こんな物は見た事がない…!」
「…趙雲殿、今日は家の中にある物の使い方を教えようかと思うんだけど。どうかな?私、今日はこうして家にいるけど、明日からは休みの日以外は学校へ行かなきゃいけないから趙雲殿には家にいて欲しいの。道具の使い方がわからないのって不便でしょ」
「がっこう…?」
「勉強する為の施設、ってとこかな。そこへ通っているの」そうして説明に終始する一日が始まった。
趙雲は真面目な性格で覚えも良いのでこれといった苦労はせずに済んだ。
耐えなければならないのは逐一驚く趙雲のリアクションぐらいだ。
あまり笑い過ぎては失礼だろう、と気を遣うものの我慢が出来ない事もある。
吹き出す度に趙雲には睨まれてしまった。「あー…こんなに喋り通しな一日なんて初めてかも」
ソファに深く座り込んで四肢を投げ出した。
「私は一日でこれだけ見知らぬ物事に出会った事が初めてですよ」
「ふふふ、そうだね。すっごく驚いてたもんね」再び肩を揺らし始める 。
「 殿…」
「ごめんってば、睨まないでよー。趙雲殿も座って、休憩しよ」促されて、趙雲は の隣に腰掛ける。
このソファにも最初は驚いていた。
趙雲が知っている椅子というのは硬い物だというのが当然で、こんなに柔らかくて座り心地が良い物など見た事も聞いた事もなかったからだ。「あ、説明してて思ったんだけど…」
「なんでしょう?」言いにくそうにする に、趙雲は先を促す。
「うん…慣れるまでは外へは出ない方がいいと思うんだけど」
家の中にはない見知らぬ物はまだまだたくさんある。
最たるものが車。
場合によっては命に関わりそうなだけに迂闊に外に出して良いものか、迷うところである。
物だけではなくルールも教えなくてはならない。「そうですね…外に出たらもっと知らない物と出会う事になりそうですし、暫く此方の事を学んでからにした方が賢明でしょう。これ以上 殿へ迷惑もかけられませんからね」
ふっと優しい笑みを浮かべる趙雲。
は赤くなりそうになるのを堪えながら頷いた。「あ、でもッ、後で買い物には行こうね。二人でなら大丈夫だと思うし!」
「はい。喜んでお供致します」趙雲を気遣って言ったつもりの言葉にまたも眩暈のする様な笑顔を返されて。
はとうとう頬を赤く染めたのだった。「 殿?どうかなされましたか、顔が…」
「へ!?や、なんでもないよ!?そ、そうだな、強いて言えばちょっと眠いだけで!」急に顔を近付けて来た趙雲に の心臓は熱心に働き始める。
声は裏返るし、頭の中はぐるぐる状態だし、顔は熱いし。
自分でも何をわけのわからない事を言ってるのだろうと、冷静な部分がツッコミを入れている。「…今朝は私のせいで早く起こしてしまった様ですからね。少し眠られたら如何ですか」
言うや否や趙雲は の体を己へ引き寄せる様に倒す。
「きゃ…!」
一瞬ぎゅっと目を瞑ったが衝撃は柔らかく、目を開けてみれば趙雲がクスクスと笑いながら見下ろしていた。
きょろきょろと見回せばそこは趙雲の膝。
俗に言う膝枕というやつで。「では、お休みなさい」
趙雲は何かを言わせる暇を与えずにそう言って、 の目を掌で塞いでしまう。
目の辺りを覆う大きな手は暖かくて。
はその暖かさに安心したのか、眠気が増しつい眠りに落ちてしまう。
小さな寝息が聞こえてくると、趙雲は手を退かしてその寝顔を眺め微笑んだ。
翌日、学校へと行った は家に残した趙雲が心配でならなかった。
趙雲の事だから無断で出掛ける事も勝手な行動も取らないとはわかっていても、心配なものは心配だった。
知らない事だらけの世界で、誰もいない家に一人で、心細さを感じさせているのではないだろうかと。
だが人の心配をしている場合でもなかった。「 ー!!」
友達数人が廊下を駆けて来る。
「なに、どうしたのー。何かあった?」
「何かあったのはそっちでしょー!もー ったら黙ってるなんてひどーい」きゃいきゃいと騒ぐ友達に は首を傾げる。
何か黙っていて、こんな風に騒がれる事などあっただろうか…と。「昨日なんて学校サボってまでデートしちゃってさー」
「そうそう!いいなー、すっごいカッコイイ人だったし!!」友達の言葉に は固まった。
昨日、趙雲と買い物に行った様子を目撃されていたらしい。「いつの間に彼氏作ったのよ」
「いいなぁ。 は幸せクリスマスが待ってるのか…」言うべき言葉が見付からず口をパクパクさせている をよそに友達は勝手に盛り上がっていたのだった。
−2005/12/13−